最初の広い部屋からすぐの場所です。床の崩壊が痛々しいですね。 ここは玄関か何かでしょうか、画像では明るく見えますが、もの凄く暗くて足元が危険です。 上の場所の隣、また気付いた方もいらっしゃると思いますが、最初の部屋でもあります。 どうやら他より広かった理由は事務室だったようです。窓口も2つほどありました。 ぶれが酷いですね、申し訳ありません。 一番上の写真の右側の廊下です。扉がついている部屋が多いですね。 右の部屋はものすごく広かったのですが食堂か何かでしょうか、隣に厨房があったのでそうでしょう。 一番上の写真からさらに奥の廊下です。 一部通行できないほど崩落している箇所が見えますね、それにしても長い廊下だと思います。 それでは2階に行ってみましょう。階段はひび割れもなく丈夫でした。 2階の階段の踊り場に大量の朽ちたマガジンが置いてありました。 寮の住民が見ていたのでしょう、これで部屋に散らばっている理由がわかりました。 階段のすぐ隣、手前側の部屋です。娯楽室と書いてありました。 ご覧の通りあるのは畳だけです。ここで当時何をやっていたのか、考えると少し切なくなります。 2階の手前側の部屋の一つです。1階よりは板張りされていない分比較的明るいです。 此方は黒カビが目立ちますが、他の部屋は天井が雪の重みで崩落している所がほとんどでした。 2階の手前側から奥に向けて撮ってみました。頭がクラッとなるほど遠いですね。 それでは2階の奥に進んでみようと思います。 先程の階段を通り過ぎると共同トイレがすぐそこにありました。 個室3つ、左は男性用が3つあります。個室の中はとてもキレイでしたが奥2つは開きませんでした。 2階の奥の崩壊しているとある部屋に落ちていた新聞です。 1998年8月31日。16年前の新聞です。自分の産まれている頃はまだ現役だったと思うと なんだか不思議な感じですね。 戻る 次へ |