2014 3/16訪問 もちゃ はっしー 頼城・緑泉にはあると聞いていた「水明荘」、はっしーが芦別方面に行ってくださると言うことでお願いしてみた。 軽く承諾はしてくれたものの場所が全くわからず、かと思いきや普通にあっさりと見つかりました。 「水明荘」は炭鉱会社の独身寮との情報がありまして、更に昔には新・旧二つのの水明荘があったとか。 ただ旧水明荘は昭和30年に大半が焼失してしまい、その後も昭和48年に完全焼失してしまったみたいです。 因みに今回は新水明荘であり、1956年に建てられたものを1982年に更に増築したようでして、 富芦トンネルの詰所もしていたという歴史ある寮なんですね。 雪がしんしんと降る中、一歩一歩近づいていきます。 2階建てなようで横にとてつもなく長いですね。 入り口は完全に封鎖されてますが、正面付近を見渡すといくつか板が剥がれている所があります。 とりあえず板が剥がれている所からお邪魔してみます。 因みにTopの写真の入口から右に1.2.3つ目の半分ぽっかり空いている場所から入らせて頂きました。 上と同じ部屋です。押入れのあとでしょうか、何故かコップが一つ乗っています。 それにしても広い部屋ですね、ざっと合わせて20畳近くはあると思います。 廊下に出てみました。此方はTopの写真で言うと向かって奥の方を撮影した感じです。 床が崩壊していてかなり危険です。それに人2人すれ違うのが限界なほど狭いですね。 後ろを振り向いてみました。手前の方側ですね。 この先は行き止まりと部屋が5つ程度しかないので、こちらから見て行くことにします。 何号室かはわかりませんが、部屋の全景です。ほとんど手前側は同じような部屋ばかりでした。 最初の部屋よりも狭いです。ところでどの部屋にもマガジンが落ちているのは何故でしょうか。 ゴミ箱と吸い殻入の張り紙。つまり当時はここにゴミ箱みたいのが並んでいたのですね。 この狭い廊下にあったとは想定し難いですね、いえ、ほんとに狭いんです。 どこかの部屋の中です。まだ電灯が上に、また畳が立てかけてありますね。 ここが廃墟になったのは2004年、つまり10年経っているということになります。 と手前側の行き止まりに来ました。よく見るとここから入れたのですね。 外を見るとはっしーが車の中から手を振ってました。そうです、今回は単独探索なのです。 それはさておき、次は奥に向けて移動していきたいと思います。 次へ |