2014/3/16訪問 もちゃ はっしー 3月16日、はっしーと美唄、芦別を回ることになりまして、美唄と言いましたらやはりここでしょう。 我路に到着した時には雪が降っていませんでしたが、歩いて向かう途中から天気が崩れて吹雪になりました。 ちょうど今時期、スキー場やレストハウスからは丸見えでした、車道からも見えるかもしれませんね。 「沼東小学校」は1906年5月4日に盤ノ沢簡易教育所として開校し、1947年に美唄市立沼東小学校となり、 1958年〜1959年に新築され、1961年に我路小学校と併合されました。 美唄で初めて建設された円筒形が特徴的な校舎です。 当時は「めがね校舎」と言われ画像の建物右側にあるシャッターから渡り廊下が出てもう一棟あったようです。 最盛期には1570人もの児童が登校していたらしく、今では周辺は森なのでとても考えられないですね。 そして三井美唄炭鉱が1972年に閉山、その2年後の1974年3月31日に閉校しました。 今回は2人で中に入るつもりでしたが。今は1人です。 ここに来るまで対岸の道を辿ったのは良いのですが、いくら歩いても橋がない、との事でもう一度道路に戻ろうとなった中、 目の前に見えているのに行けないと痺れを切らした自分が、目の前の川を倒木1本を橋にして来たからです。 はっしーは安全なルートを選んだので、これを撮影しているころはレストハウスのあたりでしょうか。 それにしても相変わらず迫力がありますね。4回ほど来ている気がしますが。何回見ても飽きません。 では2階から入らせていただきます。 3階です。2階からだと区切りが悪いので最上階から順に進めて行きたいと思います。 出口のむこうは今は外ですが、本来は別棟への渡り廊下です。何故片方だけを解体したのか不明です。 シャッターのほうから螺旋階段に向けて撮影してみました。 こうみると荒らされているものの天井や壁は綺麗ですね。では左側の部屋から入ってみます。 ここは何の部屋でしょうか。教室の半分くらいのスペースです。 因みに隣にトイレのあとのような2畳くらいの部屋がありました。用具室でしょうか。 上の部屋を出た所に手洗い場のようなものが残っています。 こう見ると、先程の部屋は女子用、もしくは個室のトイレだと想像できますね。 それでは螺旋階段のほうへ行ってみます。 あの有名な螺旋階段頂上のトップライトです。 積雪のため明かりは2箇所しか役割を果たしていませんが、それでも芸術的ですね。 教室はこのような感じになっております。物はほとんど残されていません。 先生が黒板から振り向くたびに太陽の光が眩しかった、という話を聞きます。 中にはロッカーの一部が残っている教室もありました。 上に同じく、生徒達も黒板に光が反射して見づらかったとも聞いたことがあります。 まだ扉がついている教室もありました。 大抵は横にスライドする扉が多いので、学校でこのような扉は中々お目にかかれません。 そしてはっしーが歩いてきたのが見えたので合流することにします。 次へ |