我路





2014/3/16訪問  もちゃ はっしー

3月16日の美唄・芦別に訪問した際に沼東小学校、炭鉱メモリアル公園に行く途中にありました、
かつて三井美唄炭鉱の繁栄とともに生まれた大都会であったとされ、人口は3万人に達したと言われています。

昭和60年頃の美唄市の人口の8割近くを占めていた我路ですが、訪問時には数え切れるほどしか住まれてませんでした。
炭鉱とともに栄えた町は、炭鉱とともに発展し、炭鉱とともに消えていく。その言葉が深く刻み込まれます。





やきとりガロさんの見える雪山の窪みに車を停め、坂道を下ってみます。
最初に目についたのはスキー屋に隣接している古い蔵です。明治頃に建てられたものでしょうか。





蔵の隣にあるスキー屋跡だと思われます。扉が解放状態でした。
すりガラスの向こうに食器がそのまま放置されているのが見えます。





スキー屋跡の内部です。玄関にスキーが置かれていました。
解放されているにも関わらず、内部は荒らされておらず、とても綺麗でした。
奥にテントが張られていたので、探索を止めておきました。





その正面にありました、はっしー曰く、タバコ屋っぽいとのことです。
見るかぎり崩壊が酷く、穴だらけでしたが窓から覗くと崩れている所以外はとても綺麗でした。





タバコ屋の裏口でしょうか、それとも地下倉庫でしょうか。
壁の崩壊が酷くこれ以上は無理でしたので、戻ります。お邪魔しました。





道なりに進むと、比較的新しい家がありました。
一瞬まだ現役かと疑うほどですが、除雪の状態からすると廃墟なのでしょう。表札がまだ残されていました。





新しい家の反対側、少々大きめの家です。
家の中にはヘルメットがぶら下がっていましたが、炭鉱関係の方の家だったのでしょうか。





我路映劇の映写室の跡で、当時の我路の3つあった映画館のうちの1つです。
この時代の映写室は火事等からフィルムを守る為、映写室だけ鉄筋で作られていたので残っているようです。

それでは菊水町を抜け、新町のほうに行ってみたいと思います。


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